今日はyamaの中でも特に心を抉る一曲、『doku』について考察していきたいと思います!
この曲を初めて聴いたとき、不思議な感覚に包まれました👀✨
苦しくて、切なくて、なのに耳が離れない。
まるでタイトルの通り、毒のように一度触れたらもう戻れない。
恋愛は甘いだけじゃない。
ときに依存となり、支配となり、崩壊へと向かうことさえあります😢💘
「やめたほうがいい」と頭では分かっているのに、身体はその人を求めてしまう——
そんな矛盾の渦を、この曲は音と詞で鮮烈に描いていると感じます。
毒 は相手ではなく、自分の心にもある
タイトルの「doku」。
多くの人は“相手が毒なんだろう”と考えるかもしれません。
しかし私は、この歌で語られる毒は 相手だけではなく、自分自身の心にも流れ込んでいるものだと感じました🤔
愛されたい。
欲しい。
でも傷つく。
それでも離れない。
これらの感情はすべて自分の内側から生まれています。
相手を求めるほど苦しくなるのは、本当は自分がその関係に依存してしまっているから。
人は一番欲しいものほど、手に入らないと苦しむ。
それでも欲しくて手を伸ばしてしまう——まるで毒。
この曲にはそんな心理が濃く流れています🎶
愛されたいと願うほど喉が焼ける
この胸の火傷みたいな想い でも言えばきっと誰かが 「めんどい」って笑うんでしょ?
歌詞には、胸や声という表現が登場します🎤
これは、「言いたいのに言えない本音」、「飲み込んでも飲み込んでも消えない渇き」の象徴だと感じます。
好き。
苦しい。
やめたい。
でも離れたくない。
真逆の感情が同時に暴れるとき、人は言葉を失います。
胸の奥が焦げるように痛くて、喉がつまってしまう…。
でも声に出せないからこそ、その気持ちはどんどん膨れあがり、まるで毒が体中に回るように広がっていくのです😞
求め合うのではなく、奪い合うような恋
知らないや 知らないや この想い抱いたまま 期待なんてしないように 慣れるのもスキルでしょ?
この曲から伝わる愛は、共有ではなく渇いた欲求に近いです。
「欲しい」
「もっと」
「まだ足りない」
相手の愛を飲み干しても、満たされた実感は一瞬だけ。
むしろ満たされそうになるほど怖くなり、さらに深く求めてしまう🥺
まるで砂漠の真ん中で水を飲むように、飲んでも飲んでも乾きが癒えない。
愛が幸福ではなく中毒に変わる瞬間です。
それでも手放せないのは、毒を毒と知りながら惹かれ続ける自分がいるからです。

「もしあなたじゃなければ生きられたのに」と思う瞬間
この胸の矛盾ごと全部 誰かと分けられるなら この痛みも愛せたよ
恋が毒になるのは、それ以外の世界が見えなくなったときです😣
友達と話しても、仕事をしていても、ふとした瞬間に浮かぶのはその人の顔。
本来幸せにしてくれる存在のはずなのに、苦しませる原因にもなっている。
「あなたに会わなければ、もっと楽に生きられたかもしれない」
そんな矛盾した感情が、dokuの背骨を形成しています。
でも私たちは知っているはずです…!
そんな風に感じられる相手に出会えること自体が、もう奇跡に近いということを。
毒のような愛は痛みを伴うけれど、一方で他の誰とも比べられないほど強烈で、忘れられないのです。
消えてほしいのに、消えないでほしい
みんななんてしらないや もう誰にも言えないや この声も聞こえないや もしも全部コトバにしていたら 何かが変わってたかな
終わりたい。
逃げたい。
忘れたい。
そう何度思っても、心は言うことを聞きません。
思い出が消えてくれたら楽になるのに、綺麗な記憶ほど夜に蘇り、胸を掴んで離さない!
毒は痛いのに、甘い。
苦しいのに、欲しい。
傷つけられるほど恋に落ちる。
この矛盾こそがdokuの最も美しい部分だと思います✨
綺麗ごとの恋ではない、生々しい人間の本性。
愛に溺れた結果、毒を飲み干してしまった心の姿なのかもしれません。
まとめ
yama『doku』は、綺麗な恋ではなく、逃げられない依存の愛を描いた楽曲だと感じます。
・苦しいのに求めてしまう
・手放したいのに離れられない
・毒なのに愛と呼んでしまう
人間の弱さ、醜さ、脆さ、そして美しさ。
その全部がこの曲の中で息づいています🎶
毒のような恋は破滅を連れてくるけれど、
それでも人はその痛みに魅了される。
なぜか?
それほどまでに誰かを愛せる人生はそう多くないからです。
もしこの曲が胸に刺さったなら、あなたの心にも「消えない誰か」がいるのかもしれません。
毒の味を知ってしまった者にしかわからない、あの苦しくて甘い感覚を。


