こんにちはナユタス府中校の岩田耀介です!
4月は旅立ちの季節。
別れと出会い、今回は1975年にリリースされた名曲
太田裕美さんの「木綿のハンカチーフ」について深堀りしていきます!
太田裕美
1955年生まれ、東京都出身。69年、中学3年生でスクールメイツのオーディションを受け、合格。
72年、NHKの音楽番組『ステージ101』のオーディションでもレギュラー出演の座を獲得する。
74年、「雨だれ/白い季節」で歌手デビュー。
75年末に3作目のアルバムからシングルカットされた「木綿のハンカチーフ」が大ヒット。
『NHK紅白歌合戦』には76年から5年連続で出場した。
木綿のハンカチーフ
元祖J-POPの黄金コンビですが、当時の松本隆さんは「ハッピーエンド」解散後、
作詞家に転身したばかりで、コンビ初期のヒット曲となります。
松本隆さんの回想より、
•「話し合いの中で地方都市の歌を作ろうと。
『東京育ちのきみは地方のことを知らないだろう』と言われたりもしたけれど、
炭坑町になじみがある福岡出身のレコード会社のディレクター(77)をモデルに書きました。
コンビを組んだ筒美京平さんにとっても、僕にとっても、断層となる作品。
旧歌謡曲から脱却し、その土俵自体を変えようと試みた、ある種の見えない戦争。
結果、Jポップの元祖になったと思う」
•「京平さんがすごいのは、歌い出しの♪恋人よ ぼくは旅立つ……の最後の『つ』の音階を上げるところ。
普通の作曲家はそこまで飛躍しない。天才だと思う。あと、この詞に明るい曲をつくるのもすごい才能。
普通ならもっとしっとりした曲にするはずだから」
当時の楽曲は先に作曲して、後から詞をつけるやり方が多かったが、
松本隆さんは先に詞を書かせて欲しいと提案。
また当時は一番二番を歌ってサビを繰り返す、2コーラス半が主流。
この歌は四番まである。筒美京平さんの第一印象は長い。
が「最初は戸惑ったけど、取り掛かってみたら、うまくスルッとついっちゃった。」
歌詞
歌詞は4番まであり、都会に出ていった彼と田舎で彼を待つ彼女。
二人の気持ちの変遷が掛け合いの形をとって表現されています。
恋人よ ぼくは旅立つ
東へと向かう列車で
はなやいだ街で 君への贈りもの
探す 探すつもりだ
いいえ あなた 私は
欲しいものはないのよ
ただ都会の絵具に
染まらないで帰って
染まらないで帰って
1番の歌詞ですが、都会の生活に憧れる彼と
そのままでいて欲しいと願う彼女の気持ちのズレが描かれています。
2.3番と進むにつれてそれはより顕著となり、最後の
あなた 最後のわがまま
贈り物をねだるわ
ねえ 涙拭く 木綿の
ハンカチーフ下さい
ハンカチーフ下さい
となっていきます。
O・ヘンリーの作品に「賢者の贈り物」というクリスマスに
お互いにプレゼントを贈る夫婦の話があります。
夫は時計を売って妻へ櫛を送り、妻は髪を売って夫へ時計の鎖を贈ります。
結果お互いもう必要なくなった物をクリスマスに贈るのですが、
それは互いの気持ちを確認し合う大切な贈り物となりました。
結末は違いますが、明るい曲調は二人の新たな出発を感じさせます。
歌唱
わかりやすいメロディーですが、実はいろんなテクニックが入っているんです!
ぜひトライしてみてください!
この曲の歌い方についてもっと知りたい方や
他の曲についてももっと知りたい方は是非体験レッスンへお越しください!
最後まで読んでいただきありがとうございました!
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