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【NAYUTAS 浜田山校】クボタカイ『ハッピーアワー』歌詞考察 ——“何もない自分”に乾杯する、人生最高で最低な夜——

クボタカイの「ハッピーアワー」は、飲んで笑って踊って――そんな“他愛のない夜”の中に、静かに沈んでいる自己嫌悪や焦燥感、救われたい気持ちを切り取った楽曲です。

一聴すると陽気な乾杯ソングのようにも聞こえますが、その実、歌詞には“社会でうまくやれない自分”と、それでも“笑って生き抜きたい自分”が、ぐしゃぐしゃに抱き合って眠っているような“痛いリアル”が息づいています。

言葉はポップ、ビートはご機嫌。

なのに心には“どす黒いもの”がこびりついて離れない――そんな、クボタカイらしいポップ×鬱屈のカクテルが、見事に完成された楽曲だと感じます✨

 

「何者にもなれない自分」に乾杯するしかない夜

この曲で描かれるのは、“大きな夢も希望も語れない”、けれど“一丁前に迷ったり、落ち込んだりしてしまう”普通の若者です。

友達はSNSで成功しているように見える。

自分だけが取り残されている気がする。

何かを成し遂げた訳でもなく、自分に誇れるものも特にない。

それでも夜になれば「ハッピーアワー」と叫びながらグラスを掲げる――それは、「自分の人生がどうしようもなく冴えない」という事実を、いじらしく誤魔化すための“儀式”なのかもしれません🍻

乾杯! street lights. 今夜全部忘れて good time. feeling tonight. はしゃいでいけ いけ

クボタカイはこの“誤魔化し”を責めません。

むしろ、「笑ってごまかせるならそれでいいじゃん」とでも言うかのように、柔らかい声で寄り添います😌💞

しょぼくれた現実に乾杯してしまう勇気こそが、私たちが生き延びるためのエネルギーなのだ――この曲を聴いていると、そんな気持ちになります✨

仲間たちと笑うことは、人生の“救い”になり得るか?

歌詞の中では、主人公が気心の知れた友人たちと笑ったり、くだらないことで盛り上がったりする場面がいくつも描かれます。

それは“何者でもない人間同士”だからこそ共有できる、あたたかくて、少し寂しい時間です。

世界に正解は無いと知っているが 間違いだらけの愛も知ってる はてさて、ここからどうしよう どうしたい?

いつかバラバラになってしまうかもしれない関係。

終電が過ぎたら解散して、それぞれの孤独に戻っていくだけの関係。

でも、その束の間の楽しさこそが人生の「ご褒美」のように感じられてしまう――そこに、この曲の優しさと切なさが共存しています👬

また、「誰にも認められていない」と感じているとき、人は簡単に自己肯定感を失ってしまいます。

しかしクボタカイは、“仲間が笑ってくれること”が、自分を肯定してくれる手がかりになるということを歌います🎤

大きな成功はつかめなくても、友だちと笑い合った夜があれば、「今日の自分は悪くなかった」と胸を張れる。

そんな、“ささやかな肯定”に音楽を捧げる姿勢が、クボタカイというアーティストの核なのだと改めて感じさせられます✨

ハッピーアワーは“夢の中”、朝が来たらまた孤独

タイトルにもなっている「ハッピーアワー」は、アルコールの割引タイムという意味だけではなく、“現実を忘れられる魔法の時間”として描かれています。

しかし、そのハッピーアワーは永遠には続きません。

夜が終わり、朝が来れば、安酒の残り香と共に、また現実という戦場に放り出されます。

今夜、酩酊してスキップ踏んで この街の夜で愛を知って

歌詞ににじむのは、「分かってはいるけれど、この一瞬だけは幸福でいさせてほしい」という願いです。

これは裏を返せば、“今の自分は全然幸せじゃない”という本音でもあります。

クボタカイはその“空虚さ”を隠しません!

むしろ陽気なラップの裏にべったり貼りつけることで、「楽しい時間ほど、あとで虚しくなる」という、誰しもが知る感覚をリアルに響かせます👂🎶

“楽しいのに泣きたくなる”――それはまさしく、“大人になりきれない大人”の感情そのものなのです。

「何もない日々」がいつか宝物になる、その予感

曲の最後で語られるのは、“未来”への淡い期待です。

この街の夜はいつもこうで 青春は終わってしまっても 今はちょっと浮かれてる ぼくもきみもひとりだから もっと知りたいと思ってる

歌詞では、主人公が“今この瞬間すら、いつか振り返れば大切な思い出になるかもしれない”と感じ始めます😌

今は何者でもないし、胸を張れるものもない。

しかし、“ハッピーアワー”の夜に大笑いしたことを、いつか懐かしみながら「実はあの頃が一番幸せだったのかもしれない」と思える日が来たらいいな――そんな“ささやかな希望”が、音の隙間から漏れ出てきます。

これは決して前向きな夢見る姿ではありません。

むしろ、「夢も希望もない今」を受け入れた上で、それでも“ここに意味を見出そうとする”切実な姿勢こそが、クボタカイという人間の美しさです✨

私たちは今日も、大して幸せじゃないまま笑って乾杯する

『ハッピーアワー』は、毎日をがむしゃらに生きている“誰でもない私たち”のための讃歌です。

裕福じゃなくても、成功していなくても、胸を張れる夢がなくても、それでも笑って生き抜くことはできる。

疲れた夜に誰かとビールで乾杯するだけで、「あぁ、生きててよかった」と感じられることがある。

クボタカイは、その“しょうもない幸せ”こそが、生きる力なんだと教えてくれます☺💕

その幸せは朝になれば泡のように消えてしまう儚いものだけれど、だからこそ美しい。

そして私たちは、その美しさにすがりながら、どうにか今日も走り続けています。

「何もない僕ら」に、クボタカイは優しく言います——“お前は大丈夫だ。そのまま笑って乾杯してろ”と。

涙がにじむほど温かい乾杯歌、それが『ハッピーアワー』なのです🍻✨

クボタカイのように、どこか気だるくて脆くて、それでも圧倒的に“言葉が刺さる歌”を歌える人になりたい——そう感じた人にこそ、ボイストレーニングは大きな味方になります!

彼の声は決して派手ではないのに、息の抜き方や音の揺らし方、言葉の置き方ひとつで、聴き手の心をズブズブとえぐってくる。

それは“感情の乗せ方”というテクニック✨

ナユタス浜田山校のボイストレーニングでは、そのニュアンスを声帯の使い方・ブレス・リズム感から丁寧に磨くことができます🎤🎶

上手く歌うのではなく“自分の声で誰かの人生に寄り添う歌”を歌えるようになりたい——その願いを叶えるために、今こそ一歩踏み出して、自分だけの歌声を育ててみませんか?

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